NJFの読書日記
「ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学」サイズは本当に種の時間を決めるのか?
本川達雄 (著)「ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学」を読んで気になった点をまとめました。
本の概要
1992年に出版され、ベストセラーとなったサイズと動物の性質について論じた本です。
例えば、ゾウとネズミは一生に打つ心臓の鼓動の数が同じというような話は、この本が売れたことによってよく知られるようになりました。
それ以外にも動物のサイズとカロリーや移動速度など、いろいろなパラメーターが比較されています。 詳細な内容については、古い本ですしいろいろなレビューがすでにたくさんあるので、ここでは省略します。
ただ、私が一つ気になったことがあるので、それについてここではまとめておきます。
それは、「サイズは本当に種の時間を決めるのか?」ということです。
体の大きさと生物の寿命
この本で扱われている主題のうち、例えば体の大きさと必要な熱量などについては、物理法則などからも予想できる部分があるので、詳しい数値はともかく何か関係があってもそう不自然とは思いません。
しかし、この本で紹介されている「体が大きいと生物の時間も長い」という説は奇妙です。 体の大きさと時間、つまり寿命などについては、生物の生態や体の働きなどが一番に関係するので、そう簡単ではないでしょう。 また、そこにどういう理由があってそうなってるのか、というのが本の中では曖昧な気がしました。
しかも、私たちはサイズの割に長い時間を持てる例外的な生物をよく知っています。 それは我々自身です。
人間は明らかに他の動物に比べて体重の割に長生きします。 医学の進歩により長生きするようになったと考えることもできますが、体重が100倍ぐらい違う象と同じレベルの寿命というのは、それだけで説明できるものでしょうか?
こう考え他にも例外があるのではと調べてみたところ、簡単に見つかりました。
例えば、最近ニュースにもなっていたのでご存知の方もいるかもしれませんが、生物の中で特に長く生きるものとしてアイスランドガイという貝がいます。 その中には500年ぐらい生きたとされる個体も見つかっています。 体長はたったの8.6cmだったそうです。
昆虫の中で寿命が長いものを調べてみると、オーストラリアに住むシロアリの女王アリはおそらく100年ぐらい生きるのではないかと考えられているようです。 体長は10cmぐらいのようです。 (以下参考動画)
これらの生物は変温動物です。 寿命については変温動物と恒温動物は違う、変温動物の方が代謝が少ないので寿命が長くなるという主張もみかけます。 そこで、恒温動物についても調べてみました。
恒温動物である鳥類は哺乳類より全体的に長生きです。 例えば体重500gほどしかないヨウムの寿命は50年、長寿の象徴であるツル(体重3~4kg)は15年以上生きるそうです。 「ツルは万年」とはいかないにしても、体重5kgのネコの平均寿命が15~16年ということを考えると、体重のわりに長く生きます。
また、同じ哺乳類の中でもコウモリは長生きすることが知られています。 通常は5年程度、飼育下なら20年ぐらい生きるそうです。 一方、体重が同じぐらいのネズミの寿命は1~3年程度です。 「体が大きいと長生きする」より、むしろ「飛ぶと長生きする」と言われた方が納得できます。
ちなみに、コウモリは冬眠に似たような代謝を抑える仕組みがあるので寿命が長いのではないか、という説を唱えている人も見かけましたが、後でご紹介する本によると否定する研究があるようです。
こうやって調べてみると、体が大きければ寿命が長くなるという説は、もし成立してるとしてもかなり限定的ではないか、ということが予想できます。
代謝と寿命
それでは、そもそも体が大きければ寿命が長くなるという説の、根拠となるようなメカニズムはあるのでしょうか?
この本(『「ゾウの時間~』)の中で根拠としてあげられているのは、体が小さいと体温を保つために代謝を多くしなければならないため、寿命は短くなるというものです。 しかし、はっきりとこれが原因だという明言は避けられています。 また、代謝が大きくなればどうして寿命が短くなるのかについての詳しいメカニズムについては、特に議論がされていません。
よく使う装置は消耗が激しく、すぐに壊れてしまうという素朴なイメージから、代謝が多ければ寿命が短くなる、という考え方に至るのは理解できなくもありません。 しかし、それは本当に生物の体という複雑なものに適用されるものでしょうか? 第一、装置でも鉄でできているか木でできているかといった、素材によって消耗の仕方は違います。
実はこの代謝が多ければ寿命が短くなるという説は「Rate-of-living theory」と呼ばれています。 かなり昔からある説ですが、今となっては種をまたいでその説が成立するということは、鳥類や哺乳類についての広範な解析により否定されています。
これは英語版Wikipediaでも紹介されており、2007年の研究だそうです。 この本(『「ゾウの時間~』)の出版よりも後の研究であるため、その内容が反映させてされていないのは仕方がないと言えるでしょう。
結局のところ、体が大きいと寿命が長くなるという説には、例外が多い上にその根拠となる仕組みも明らかではなさそうです。
より良い説はあるのか?
では、一見して体が大きい方が寿命が長くなるように見えることや、それ以外の例外をうまく説明するような説が存在しないのか、というと実はあります。
それはこちらの本を読んで知ったものです。
その説は「外的要因によって死ににくい生物は寿命も長くなる」というものです。 逆に言えば、もしある生物が外的要因で死にやすければ、たとえ外的要因がない状況(実験室や動物園など)で育てたとしても、寿命ですぐに死んでしまうということです。
ここで言う外的要因とは、外敵による捕食や環境の変化を指します。
これは実例を考えると理解しやすいでしょう。
例えばカゲロウは成虫になって数日で死んでしまう、儚いものの象徴とされるほどか弱く小さな昆虫です。 もし突然変異でカゲロウが成虫になっても100年生きるような遺伝子を獲得したとします。 その遺伝子はカゲロウが子孫を残すのに何かプラスになるでしょうか?
答えはもちろん「ならない」です。
なぜならカゲロウが100年生きようとしたとしても、鳥などの外敵や天候の変化などによって、その寿命を全うすることなく死ぬだろうからです。 おそらく、体力を再び蓄えて次の繁殖を行うまで生きられるかも怪しいでしょう。
つまり外的要因で死にやすいカゲロウにとって、長寿の遺伝子というのは子孫を残すのに何のプラスにもなりません。 そのような遺伝子は進化の中で選ばれることなく、すぐに消え去ってしまうでしょう。
よって外的要因で死にやすい生物が長寿になることはまずありません。 そのような資質を獲得したとしても意味がないからです。 逆に言えば、長く生きる生物は外的要因によって死ににくいということになります。
長生きすればそれだけ繁殖の機会が増え、子育てもできて子孫を多く残せます。 しかし、外的要因で死ぬ可能性を全くなくすことはできないため、寿命には「これ以上生きられても、すでに外的要因で死んでいる可能性が高いので、子孫を残すのには意味がない」という限界の長さがあるはずです。 おそらく進化はその寿命を選ぶでしょう。
それとも外的要因ですぐに死ぬなら、使えるリソースを使い果たして寿命を短くしてでも早く多く繁殖をする、という戦略が選ばれるかもしれません。
この説でまず注目すべきなのは、「体が大きければ長生きする」という説を内包していることでしょう。 通常、生物は自分よりも体が小さい生物を捕食するので、体が大きければ相対的に外敵が少なくなり、死ににくくなるからです。
「体が大きければ長生きする」という説では例外になる長寿の生物の存在も、この説では無理なく説明できます。 貝が長生きするのは、殻があるので外敵に襲われにくいためでしょう。 鳥類やコウモリが長生きできるのは、空を飛んで逃げられるため、シロアリの女王アリは巨大な蟻塚で守られている、といった具合です。 人類が長寿なのは、もともと樹上で生活していたため、外敵から逃げやすかったのではと上記の本(『なぜ老いるのか~』)では説明されています。
またこの説の根拠は、進化論というしっかりとしたバックグラウンドのある理論です。
こういった点から、外的要因が寿命を決める重要な因子であるという説は、体の大きさと寿命が関係するという説よりも、種をまたいだ議論では優れていると言えるでしょう。
もちろん、種を限れば体の大きさと寿命には関係がありそうなので、別に間違っているわけでも役に立たないわけでもないと思います。 しかし、『ゾウの時間~』の本の紹介などで見かける、生物全体にわたって通用する単純な法則、とは言えないでしょう。
そもそも、我々人間がその法則から逸脱しているのは明らかです。
最後に
私が気になっていた「サイズは本当に種の時間を決めるのか?」という疑問に対しての答えは、「種を限定すれば成り立つかもしれないが、一般的には違う」ということになるでしょう。
そして、「外的要因によって死ににくい生物は寿命も長くなる」という、より納得のいく説も見つけられました。 これを知るきっかけを作ってくれたことが、私にとってこの本の最大の価値です。
この説は「体が大きければ長生きする」というような単純な物ではありません。 それぞれの動物の生態について調べ、どのような外的要因が生存に関係しているか知る必要があります。 例えば、亀の甲羅や毒を持つことで捕食されるのを避ける、というのも考えなければいけません。
よって、一言でまとめられるような単純さはなく知ったときのインパクトには欠けるので、おそらく一般受けはしないでしょう。 かなり前から分かっていることなのに、広く知られているように思えないのは、そのせいかもしれません。
『ゾウの時間~』の中で、作者は以下のように書いています。
説明できなければ学問ではない、という考えは、ごもっともだと思うけれど、理屈をこねない学問も、もう少し幅をきかせてもいいのではないかと、私は感じている。 (「第三章 サイズとエネルギー消費」より)
作者がこうなのですが、読む方もこの本に理屈を求めてはいけないのかもしれません。 理論的裏付けはないかもしれない、例外があるかもしれない、最新の理論では否定されているかもしれない、相関関係はあっても因果関係はないかもしれない、データは恣意的に選ばれているかもしれない、などと考えながら読むべきでしょう。
説明がなく証明されていない事実に対しては、こういう態度をとるべきだと思います。