NJFの読書日記
車輪生物と進化論
車輪生物について、本やネットに記載されている情報から考えたことを記しました。
車輪生物をめぐる議論
滑らかに地面を移動できる車輪は効率が良く、それを使った機器は移動手段としてよく使われています。
一方、陸上の生物で車輪を使って移動するように進化したものは見あたりません。 ではどうして車輪を使った生物、つまり車輪生物がいないのかという議論があり、ベストセラーにもなった「ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学」の中でも登場するのでご存じの方も多いでしょう。
生物に車輪がない理由には色々な物が考えられますが、日本語の資料だと今ひとつ整理されていないように思えます。
疑問は二つに分けられる
「ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学」の中では、車輪は凸凹した道などが進みにくく、あまり良い移動手段ではないといったような議論がされていて、ネット上でもそれを引用した記述をよく見かけます。
それはそれで全く問題ないと思うのですが、少し違和感があり、それがこの記事を書くきっかけとなりました。
というのも、「車輪が自然の中では役に立たない」ということは、進化してみて初めてわかることです。 そもそも車輪を持つ方向に生物が進化しなかったことを説明してくれません。
今のところ、生命が誕生してから現在に至るまで陸上で車輪を使って移動する生物が登場した痕跡はありませんし、車輪につながっていきそうな器官が見つかっているようにも思えません。
つまり、現実の世界で起こっていることを説明するには、もし車輪を持った生物が存在したら、ではなく、そもそも車輪を持った生物が生まれなかった理由が必要だと思います。 そうでなければ、神様のような存在が、その方向に進化してもあまりメリットはないと考え、初めから進化を防いでいたとでも思わなければならなくなるでしょう。
それではそもそも進化論が間違っているという事になります。 もちろん、現実はそうなっておらず無意味な議論です。
つまり、車輪生物が存在しない理由には、次の2つの説明方法があり得るわけです。
- なぜ車輪を持とうとする方向に進化しなかったのか
- もし車輪があったとして、それは生物にとってプラスになったのか
これは明確に区別しなければならないでしょう。
上で書いたように、1の方が現実に即しているように思えます。 しかし2も重要です。 なぜなら1だと「車輪生物はいたけれども単に化石が残っていないだけでは」という反論や、「もしいたらどうなのか」という疑問には答えられないからです。
よって、両方とも意味のある議論ですが、私は特に1の方に興味があったと言うだけです。
と、ここまで自分で考えたのですが、さらによくよく考えてみると、素人の私がすぐに思いつくようなこの程度の事は、他の人も思いつくのではないかと思い当たりました。
そこでインターネットで検索してみたのですが、日本語では私が求めているような情報を見つけることができませんでした。
そんなに的外れな考えなのだろうかと不安に思って、英語でも検索してみると、英語版Wikipediaに全く同じようなことが書いてあることを見つけて安心しました。
よって、ここの内容の多くはこのWikipediaの記事を参考にしています。
日本では「ゾウの時間~」がベストセラーになったことにより、ほとんどの車輪生物の議論がその本をベースとして論理が組み立てられまさに同工異曲といった状況です。 (ただし、「ゾウの時間~」の中ではそれ以外の説にも少しだけ触れてはいます。) または、「俺はそうは思わない」と対抗意識を燃やしたのか、自説を展開するかのどちらかです。
私が知りたいのは、実際に行われたちゃんとした研究などの多角的な知識なので、この話題についての日本語の情報はもうあまり見なくて良いかな、と思っています。
進化論的な説明
さて、車輪を作るのは生物にとっては難しいから、という議論をよく見かけますが、いささか説明にかけるところがあると思います。 例えば人間やイカなどの目は非常に複雑な構造ですし、鳥が飛べるのも翼や筋肉、関節、羽のつき方などが複雑に絡み合って実現されています。 このように進化は非常に複雑なものでも、必要であれば作ることができるように見えます。
にもかかわらず車輪は進化していないのですから、車輪のどの部分が進化にとって難しいのかということを、まず議論しなければならないでしょう。 車輪は構造が難しいのではできません、とだけ言うのにはあまりにも説明が足りていないのではないでしょうか。
つまり、翼や目と車輪はどこが違うのかということを、はっきりさせなければ何が難しいのかということもわからないはずです。 また、それがわかれば車輪以外でも生命の進化にとって難しいものが何かがわかり、より深い知見を与えてくれるでしょう。
それに対する簡単な説明は「その種にとって有利となる、小さな変化の積み重ねになっていれば、進化しやすい」というものです。
たとえば、目は少しでも光を感じられれば、ほかの生物よりも有利に行動できます。 翼は少しでも飛べればその分だけ移動が楽になります。 ともに性能が良くなれば、その分だけ生存に有利です。 つまり、小さな変化の積み重ねで進化できます。 しかし、車輪は回らなければ役に立ちません。
よって、車輪が進化にとって難しいのは、回る状態でなければ役に立たないので、小さな変化の積み重ねでたどり着きづらいからでしょう。
進化は突然変異によってランダムに引き起こされ、突然変異は低確率でしか起こりません。 複数の突然変異がたまたま生物に有利な形で一度に起こることは、とんでもなく低確率でしか起こらず、しかもあまりに変異しすぎると同種の仲間と交配できなくなります。 交配できないと、その生物はその世代で滅んでしまうでしょう。
ちなみに一度に大きな進化が起こるのは跳躍進化説と呼ばれているようです。 こういう説を信じている人なら、いきなり車輪ができるのも受け入れられるかもしれません。
突然変異による小さな変化にメリットがなければ、その変異は自然淘汰の中で消えてしまい、複雑な機構を手に入れる前にその進化は終わってしまうでしょう。
よって、もし途中経過にメリットがない進化を見つけられれば、それは進化論の反証になります。 実際、反進化論者の中にはそのような例を探している人もいるようです。 しかし、今のところ多くの研究者が納得するような例があったという話は聞きません。
さらに、この議論は進化論が反証可能なちゃんとした科学理論であるという証拠にもなっています。 こういった知見を与えてくれるので、車輪生物をめぐる説の中で、個人的にはこの説を一番気に入っています。
しかし、この説が一番優れていると思っているわけではありません。 すでに書いたように、例えばこれは「なぜその方向に進化しなかったのか」という事は答えてくれますが、「もし車輪があったとして、それは生物にとってプラスになったのか」の答えにはなりません。
そもそも疑問の方向性が違うのですから、それらに優劣を決めるのは意味のない行為でしょう。 単に、問う人がどの疑問を抱いているか、というだけのことだと思います。
鞭毛は反例になりうるか?
回転を移動で使う生物の機構として鞭毛を動かすモーターが知られています。
回転するところが同じだけで、そもそも車輪ではないのですが、これを段階的な進化の反例と考える人もいるかもしれません。
しかし、鞭毛は実際には段階的に進化しているのかもしれませんから、まずどうやって鞭毛が進化したかを知る必要があるでしょう。 その上で他の場合にも同じ事が起こりうるかを考察してみなければ、反論にはなりません。
鞭毛を動かす機構は生物の中では非常に特殊で興味をかき立てられるもののため、いろいろな人が研究しています。 その成果は英語版Wikipediaでも扱われており、例えば別の機能を持つ他の器官から進化した(こういったメカニズムは前適応と呼ばれています)、他の生物との共生といった説があるようです。
ちなみに、鳥が翼などを進化させたのは前適応の例としてよく使われます。 例えば羽根は体温維持のために進化した物で、最初から飛ぶことを想定して進化したわけではない、という具合です。
進化は少しずつ段階的に行われる、という考えからはこれらの仮説は外れていないようです。 もし外れていれば進化論への強力な反証となり、もっと話題になっていたでしょうからあたり前ですね。
そのため、段階的な進化に対する反例として、鞭毛を使うのは無理そうです。
では、前適応や共生による車輪の発生が微生物以外の、より体が大きく複雑な生物に起こりそうでしょうか?
少なくとも、私は現存している生物がもつ、将来的に車輪につながりそうな器官は思いつきませんし、車輪に発展しそうな共生を行っている例も知りません。
よって、鞭毛を引き合いに出して陸上生物の車輪について語るのは、なかなか難しそうです。
ところで、鞭毛は車輪とだいぶ違うと思うのですが、そこはいいのかな?とも思います。 車輪は360度一回転して回らないと役に立ちませんが、鞭毛は少し回ってまた反対回りしても前に進みそうな気がします。 車輪は車軸以外も真円でないとうまく回りませんけど、鞭毛はそうでもないでしょう。 地上では重力が働くので車輪には強度も必要です。
「回転で移動」以外の共通点が見あたらないので、鞭毛が車輪の話に出てくること自体が、なんとなくおかしな気がしますが、よくわかりません。
さらに細胞の中の一部が回転したから「車輪だ!」といっている人にいたっては、どう扱っていいのか判断に困ります。
なんだか「回転すれば何でもいいだろう」というような、こじつけに思えます。 アクセス稼ぎのためにインパクトのあるタイトルをつけたくて無理矢理関連付けたかのようです。 まともな科学者がやることではないですよね。
言葉の定義を自分の都合の良いように変更すれば、どんな議論も成り立つという、悪い例の一つでしょう。
マクロなスケールの回転構造も、実は存在する
「回転構造」という広い意味で車輪というなら、実は微生物以外に巨視的な例が存在します。 それは二枚貝の消化器官の一つである桿晶体で、回転することで消化を助ける働きがあるそうです。 画像検索すると1cm以上ありそうな透明の細長い器官がヒットし、巨視的といっても良い気がしますね。 ただし、あまり詳しい話はネット上で見つけられなかったので、動きや性質の詳細などはよく分かりません。
というわけで、「微視的な物でなければ、生物は回転構造は発達させられない」という意見も見かけますが、このように反例があります。
英語版Wikipediaには、桿晶体は巨視的なレベルで自由に回転する唯一の生物の器官として紹介されています。 日本語で桿晶体をネットで検索しても回転するという記事が見つかり、昔から知られているようなのですが、日本では生物の回転についての話題で、これが出てこないのが不思議ですね。
フィクションの中の車輪生物
フィクションの中に車輪生物が出てくることがあります。 私が実際に読んだ本の中で印象に残っているのは、映画化もされた「ライラの冒険」の中に登場する生物です。
映画化されていない、シリーズの続巻に登場するその生物は、段差のあまりない異世界に住んでいて、円盤状の木の実を車輪として持ち移動します。
つまり、車軸を通してエネルギーを伝えられない問題は、そもそも伝えずとも動くような物にして解決し、段階的な進化かどうかという問題も一種の共生で回避しているわけです。 おそらく、作者は車輪生物について一通りは調べてからこの作品を書いたのでしょう。
体の外で何かを回転させる生物には実際にフンコロガシがいますし、あながちおかしな考えとも言えない気がしますね。
まとめ
英語版Wikipediaには車輪生物について、これ以外にもいろいろな議論が載っています。 ここで同じ事を繰り返しても意味がないと思いますので、興味がある人は読んでみると参考になるかもしれません。
私が興味があったのは、そもそも車輪生物が登場しなかった進化論的な説明だったので、ここではそれについて特にご紹介しておきました。 骨や筋肉の仕組みに基づいた解剖学的な議論や、実際の地面を走るときの効率やリスクなどについても英語版Wikipediaにありますが、ここでは省略します。
もちろん、陸上を移動する巨視的なレベルの、厳密な意味での車輪生物は実在しないので、これらの議論が正しいかどうかは分かりません。
将来、現実世界の進化を十分説明できるようなコンピューター・シミュレーションを行ってみたら、ひょっとすると高確率で車輪生物が生まれて、現実にはいないのはただの偶然となるかもしれません。
とはいえ、少なくとも私にとっては、進化論に対するより深い理解をもたらしてくれたという意味で、有益な議論だと思います。