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『ゲド戦記2 こわれた腕環』翻訳に去勢された物語

2025 / 11 / 28

『ゲド戦記2 こわれた腕環』の翻訳の問題点について紹介しています。

一般的な作品紹介や感想などは、すでに多く存在しているため、この記事では扱いません。

物語のネタバレが含まれます。

翻訳はハードカバー第36刷、原書はKindle版を利用しています。また翻訳は文庫版第一刷、ソフトカバー版第一刷でも同じ問題があることを確認しています。

アーシュラ・K.ル=グウィン (著), 清水 真砂子 (著)「こわれた腕環 ゲド戦記 (岩波少年文庫)」書影

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目次

  • 目次
  • 消された「Eunuch(宦官)」
  • 「去勢された」ことによる物語への影響
    • 基本的な設定の崩壊
    • マナンのキャラクター
    • ほかのキャラクターへの影響
    • 作者の意図
  • なぜ翻訳で「去勢」されたのか
  • まとめ

消された「Eunuch(宦官)」

『こわれた腕環』の翻訳がおかしいことに気づいたのは、しばらく前に英語の学習用に児童文学の原書を何冊か読んでいたときのことでした。そのころ原書で読んだときには、自分の解釈が正しいかどうか確かめるために、日本語訳を参考にすることがときどきありました。

そのなかに『こわれた腕環』も含まれていたのですが、どう考えても翻訳がおかしい部分があります。

それは、原書の文章にはある「Eunuch(宦官)」が日本語訳にはどこにも見あたらないことです。最初は見落としかと思いましたが、読み進めても必ず「宦官」という言葉が無視されるか、「付き人」など別の語に置き換えられていました。

つまり、「宦官」という設定そのものが意図的に取り除かれ、性的な要素を排した形に翻案されているわけです。ある種、物語そのものが「去勢されている」形になってしまっているのです。

「去勢された」ことによる物語への影響

「宦官」という言葉が消されたことで、物語にどんな影響があったか、そして何が問題となるのかを私なりにまとめました。

基本的な設定の崩壊

宦官という語が取り除かれると、物語の根幹にある「男子禁制」という設定そのものが揺らいでしまいます。主人公が出入りする墓所は、男性の立ち入りを厳しく禁じた空間であり、そこへ男性であるゲドが踏み入れてしまうことが、この物語の大枠を形づくる前提となっています。

ところが、付き人たちが宦官であることが読み取れなくなると、男子禁制の場であるはずの墓所の内部を、どう見ても女性とは思えない人物たちが歩き回っているように読めてしまいます。読者、とくに児童であればなおさら、「男性は入れないのでは」「付き人は許されているのに、なぜゲドは拒まれるのか」といった疑問を抱くはずです。結果的に物語に入り込みづらくなり、また、ゲドがタブーを犯した意味も薄れてしまいます。

マナンのキャラクター

マナンという人物像についても、重要な点が曖昧になってしまいます。

まず、マナンの外見と声の描写は、むいたじゃがいものような(つまりヒゲがなくふっくらした)顔、女声ではないのに高めの声をしています。これらは宦官の身体的特徴と一致しており、作者が意図的にキャラクターを作り込んだと考えられます。しかし、宦官という前提が読み取れなくなると、これらの特徴は意味を失います。

また、マナンの行動には一見すると矛盾があるように思えます。主人公に寄り添うような温かさを見せたかと思えば、物語の終盤では墓所を出ようとする主人公を力づくで引き留めようとします。

しかし、マナンを宦官とした上で読むなら、その行動は容易に理解できます。マナンは子を持つことができないため、主人公をわが子のように扱う、母性的な慈愛と父性的な支配欲の双方を秘めた人物と解釈できるでしょう。包み込むような優しさは母性として、主人公を手元に留めようとするのは父性として理解できるわけです。こうした二重性は、宦官であるという設定があってこそ自然に読み解けるものです。

宦官という語が伏せられた翻訳では、こうした背景にたどり着くのはほぼ不可能でしょう。結果としてマナンは一貫性のない、捉えどころのない人物に見えてしまいます。

ほかのキャラクターへの影響

ほかの登場人物がマナンに向ける言葉や態度にも、「相手が宦官である」と理解しているかどうかで、意味が変わる箇所があります。ただし、これは上で説明した2つの場合に比べると間接的で翻訳の仕方によっても変わる部分です。しかし、物語の印象に確かに影響があるので触れておきたいと思います。

私がとりわけ気になったのは、物語序盤で主人公がマナンのことを「bellwether」と呼ぶ部分です。これは日本語訳では「鈴つき羊」とされています。「bellwether」は「bell(鈴や鐘)」と「wether(雄の羊)」の複合語なので、こう訳しても間違いではありません。しかし、より厳密には「wether」は「去勢された雄の羊」を指します。去勢された羊は大人しいため、鈴を付けて群れを率いる役目を与えられるわけです。

つまり主人公は、宦官であるマナンを去勢された家畜になぞらえていることになります。これはかなり辛辣な皮肉です。そのため、前半の主人公のマナンに対する言葉の中でも特に印象に残ります。これが普通の人に対する言葉であれば、多少さげすんでいるニュアンスがあるものの、そこまで酷い印象は与えないでしょう。

『こわれた腕環』は、特殊で閉鎖的な環境で育ち、外の世界を知らずにひねくれてしまった主人公が、ゲドに出会って自分で見て考えることを知り、外へと旅立つという、いわゆる主人公の成長物語です。そのため、最初の段階では主人公の未熟さや偏った性格を強調した方が、最後の変化が際立ち、主人公がより大きく成長したという印象が与えられます。「bellwether」という言葉は、一言でその目的を実現しています。これは作者の文才の豊かさを表している部分でしょう。

ところが、日本語訳ではそもそもマナンが宦官であることが伏せられているため、ただの凡庸な悪口になってしまっています。とはいえ、これは注釈でも付けない限り、細かなニュアンスまで表現するような翻訳は難しい部分でしょう。無理に訳そうとすると「タマ無しの鈴付き羊」といった品のない表現になってしまいます。

作者の意図

ほかの作品からの類推で、「宦官」というキャラクター性は、おそらく作者にとって思い入れのあるものであったと考えられます。

というのも『こわれた腕環』の2年前、1969年に、ル=グウィンは『闇の左手』という両性具有の社会を描いたSF作品を発表しているからです。『闇の左手』はネビュラ賞、ヒューゴー賞を受賞しており、SF史に残る傑作と高く評価されています。

『闇の左手』では、男性の主人公と両性具有のパートナーとの、友情や愛情を統合し超越したような交流が描かれます。

その一方で、『こわれた腕環』には父性と母性の両方を体現するマナンが登場します。こうした経緯を踏まえると、宦官という設定は、作者がジェンダーという主題を『闇の左手』とは別の角度から表現するために与えた性質だったのではないかと考えられます。

しかし、日本語訳ではその「宦官」という要素が消されてしまったため、作者の意図も同時に消されてしまいました。

なぜ翻訳で「去勢」されたのか

なぜ「Eunuch(宦官)」という言葉が取り除かれたのか、翻訳者がすでに説明しているのか、それとも今後説明するのかもしれません。しかし、今のところそういった情報を目にしないので、自分で考えてみるしかないようです。

おそらく、その理由は、時代や社会、そして商業的な物でしょう。この翻訳が出版されたのは1970年代半ばです。まだジェンダー的な議論があまり活発ではなかった時代です。

また、日本では児童向けと大人向けの中間的なジャンルに当たる「ヤングアダルト」という分野があまり発展してこなかった経緯があります。そのため、ゲド戦記のような物語も「児童書」という分類で流通することになります。そうした枠組みでは、「宦官」という語を避けざるをえなかったのかもしれません。「宦官とはなにか」「どうして男子禁制の場所でも入れるのか」を理解してもらうには性的なことを説明するしかないからです。

宦官という言葉の削除により、作品の構造が歪められてしまったのは確かですが、商業的な成功につながったことも否定できません。児童書として学校などの図書館に置かれることで、知名度が格段に上がったからです。作者はほかにも多くの作品を残し代表作も複数あるにもかかわらず、日本では『ゲド戦記』が突出して知られているのも、こうした事情が一因でしょう。

それゆえ、この変更が作品に対してマイナスにばかりなったと断ずることはできません。また、現在の価値観で過去の行為を裁くようなことは謹むべきでしょう。未来の評価は誰にも予見できません。それぞれの時代で関わった人々が最善と考える判断を積み重ねてきただけです。それに後世の価値観を当てはめるのは、あまり意味のある態度ではないでしょう。

ちなみに、かなり後で出版された続編ではマナンが宦官であるという記載があるようです。にもかかわらず、なぜ『こわれた腕環』では取り除かれたままの訳が採用されているのかはわかりません。

まとめ

『こわれた腕環』から「宦官」という語が取り除かれているため、すでに読んだ人の中には、どこか違和感を覚えた方もいたかもしれません。名作だから自分の読み方が間違っているのでは、と感じた人もいるでしょう。しかし、その感覚はむしろ正しく、男子禁制の場所に付き人が普通に出入りしている状況を不自然に思わない方がおかしいです。ほかにも、この変更によって物語構造そのものが歪んでしまっている箇所があるので、それらが違和感の原因かもしれません。

作者の意図が損なわれていない形で物語を読むには、英語版の原書を読むのが最も確実です。ただし、英語は難しいと感じる人も多いでしょう。その場合は、マナンたちが本来「宦官」として描かれているということを踏まえたうえで、日本語訳の『こわれた腕環』を読み返してみてください。そうすれば、より物語を深く理解できると思います。

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